サレ◯◯と言われたことのある方へ
恋人や結婚相手に浮気不倫されたらどうするかって話を昨日長々とした。
忘れるしかないと思う。とわたしは話した。
起きたことはもう消せない。起きた事実は忘れることはできない、しかし受けた「傷」は消えずとも、「痛み」は、時間と共に、かさぶたとなり、薄皮が剥がれるように、少しずつ少しずつ和らいでいく。
解決しようとする人がいる、なんとかして「傷」を「無く」しようとする人がいる、
違うと思う。「無く」なることはないから。忘れさせてやることだ。起きたことではなく、「痛み」という感覚を。「無く」するのではなく和らぐまで。
時間はやさしい
何も言わない
何も操作しようとしない
(仮にサレ◯◯に否があったのだとしても、それは第三者から見える世界で、本人はたぶん違う、それが「全て」だ。間違っていても。間違いを「正し」て(それは「誤解を解く」「思い込みをほぐす」という言い方で行われる)事態が好転したケースはどれほどあるだろう?第三者がカップルの浮気や不倫に口を出すべきではないのはそういう理由だ)
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された側は、起きたことを無理に忘れようとしなくていいと思う、だって忘れられないから。
痛みが完全に消えることもないだろう、普段忘れていても何かの拍子にちくっとする、それは死ぬまで続く。
わたしは思うのだが、
浮気相手不倫相手を罵りたくなる時間は必ずあるだろう、無理もない、好きってそういうことだ、だから浮気不倫相手を嫌いな感情を打ち消さなくて良い、
もう浮気不倫相手に対して普通の感情には戻れない。認めることだ。(汚い心はあなたにもわたしにもあるのだということ、それだけ人を憎むことができるほどの)
だが「相手の不幸」を望んではいけない。
あなたが、わたしが、浮気不倫相手を嫌いでいることを自分に「許す」なら、
相手が幸せになることも等しく許さなければいけない。
相手が幸せになることを許せないなら、あなたの憎しみも許してはならない。
あなたはわたしは自由に生きる権利があるが、相手も、それに等しく、自由に生きる権利がある。
たとえ「相手が罪を犯した」とあなたがわたしが思ったとしても、相手の「領域」を侵して良い、ということにはならない、それとこれとは別の話なのだ、
酷かもしれない、しかし、
あなたから、わたしから、見えないところで相手が幸せになってくれるなら、
あなたも、わたしも、平和で居続けられる。
それでいいじゃないか、と思う。
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時間は痛みを和らげてくれる。
だから、関係のない周りの人間はほうっておいてあげることがやさしさなのだと思う。
「ほうっておけない」と(何らかの事情で)どうしても思うのなら、そばにいてあげてください、黙って「離れない」でいてあげてほしい
本人が語りだすまで待ってあげてほしい(語りだすことすらないかもしれない)
それが難しいなら、何もするな。だ。
それって「時間」ほどにはかなわなくとも、時間に似たやさしさ、なんじゃないかな、
っておもうようになった