自分に自信ある・ないに興味がない、その暇あれば…
Podcastを流しながらひたすら断捨離。が楽しくて仕方がない。
以前も紹介した「クラシFM」がすきだ。石田ゆり子さんのラジオもすきだ。
気付いたことがある。
わたしは話を聞いてるけどそんなに聞いていないのだ。内容はうっすら把握してるけど、内容より声のトーンを聞いているのだと思う。声の高さ・速さ・声に表れる感情など。内容をうっすらとしか把握してないのは、aiko「透明ドロップ」を二千回も聞いたのに歌詞を覚えていないのにも似ている。
そんな生活はあたかも洞窟で修行している修行僧のようでもあり、奥へ奥へと潜りこむ点は瞑想のようでもあり。気付いたことを書き留めたい。
自分に「これは伝えたいな」と思うものがある時、一歩引いて話したほうがいい。
クラシさんの話し方を聞いていて思ったことだ。ゆっくり話す。噛み締めて話す。奇をてらうような話をしない。相手をあえて笑かそうとか驚かせようとしない。素朴に、だけど率直に、訥々と思いを伝える。
「一歩引く話し方」というのは、相手に受け取る余白を与える話し方だと思う。
わたしは思いが強いほど、押し付けがましい。早口、「絶対」とつい使う、「思う!」というけど「べき」に聞こえる。
そんなつもりはないのに言い方が強くなるから「白黒思考」と言われる。
グレーの大事さはわかってるつもりだから憤慨する。伝わってない気がする。
相手に「余白」を与える話し方じゃないからだ、と思う。
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他のPodcast番組も聞くようになった。
「わたしって子供だな」と思うことが増えた。「ブラックジャック」のピノコが憧れの女性なのですが、なんていうか、マインドが8歳(ピノコはもっとちっさい)。それをよしとして生きてきたのに今は少し違う。
キーキーうるさいよな、って思う。ちゃかちゃか落ち着きないよな、って思う。
20代くらいから思っていたが「もしもうひとりのわたしがこの世に存在したら、友達になりたくないな」と思う。
自分が嫌いなわけではない。好きでもない。「自分のことが好き・嫌い」「自分に自信がある・ない」に興味がない。わたしであることに興味がある。いかにしてわたしであるか(不完全でOK)。これだけなのに結構大変だと近年知った。そうであるがしかし自分以外に自分がいたらうざいな、と思う。面倒だと思うだけ。わたしはひとりでじゅうぶん。
が、8歳の自分でいいのかな、と思うことが増えたのだ。そんな時は「いやだな」と思う。こうやって人は大人になっていくのか、と思う。「落ち着きのある話し方」を身につけること。人との衝突が減っていくこと。生きやすさでもあるだろう。いいことではないか。
なのに、わたしは強烈に反発心を覚えてしまうのだ。8歳だからか?
わたしはわたしでいいのに。って思う(クラシさんの良さはクラシさんの良さなのだ)。わたしって案外つまんない人間だったんだな、と思う。こんなことを気にしていやになる自分がそもそもとしてつまらないからだ。何が正しい何が悪いに興味はないが、つまらないのはなにか強烈にいや。そこに意味はない。(むしろ無駄)
音楽よりPodcastにハマってる日々ですが、そんなことを思っています。
(「やだなと自分で思う自分(不完全な自分)」を見つけました。ちゃんといました。)
これからも流れ続けていくのでしょう。乞うご期待、だ。自分に。
いい写真だなあ。撮ったのわたしですが。