市井さんのblog

市井の人によるしがない日常

試験が終わってから

4年近くも気にしていた試験が終わりはや1週間が経とうとしている。いろいろ思う。言葉にはしつくせない。自分に足りなかったものを思う。それに気づかせてくれたあの場に感謝する気持ちは変わらない。

 

傲慢だったよな、と思う。自分を、言葉を、過信していたのかな、と思う。カウンセリングって「言葉」を使ってクライエントが気づいていない深層部分に気づかせることが役割だと思っていた。何様だったのだろう…。導いてやろう、直してやろう、と思っていたのか?それが自分にはできるとでも…?他の人にはない特殊能力でもあるとでも?

「そうじゃなくてまずは自分の声。」「自分の中に湧く批判的な感情も肯定的な感情も打ち消さない。その姿勢、その状態でクライエントの話に耳を傾ける、その姿があって、やっとクライエントは『ちゃんと聞いてくれてる』『何を見せてもいい』と感じることができる、それが『信頼関係』『安心感』だった」「そこからやっとクライエントは自分が受容されていることを覚え、許されていると感じ、だから立ち上がっていこうとする」「それが回復」「誰かに言われたからではなく、自分の足で立つということ」

わたしに回復させる特殊能力があるのではなく回復するのはクライエント。わたしは何もできないけどできることはせいぜいクライエントから「離れないこと」。そして、クライエントで二本足で立ち上がったら、その時もし離れがたくなっていたとしても、そっと手を離すこと。

やっと最後の方で気づけた、今はもっとわかる。けれど進級試験には、やや遅かった。

 

自分を閉ざしている自分はよくないな、と思う。思ってしまう。

閉ざすようになたのはここ4年くらいのことだ。その前はもっと人を信じていた。知らなかったからだ。無知は力だ。「知ってからが勝負でしょ」と頭でわかっていても、人に対する「恐れや不安」は消えない。もっと、もっともっと前、薬を飲んでいたくらい、あの頃も、人に対して「恐れや不安」を抱いていた。

わたしは戻ってしまったのかな…

 

2014年のことだ。9年前。

その年、年明けとともに服薬をやめた。塾の仕事をしていたが身体を壊し、その前兆にまったく気づけなかった自分が怖くなった。向精神薬を飲んでいたので鈍くさせられているのかな、と思った。人からはそうよく指摘されていたこともある。やめたら効果テキメン…。10年以上続いた不眠が数週間で完治…。。感覚が蘇る。失われていたことに気づいてすらいなかった、肌に触れる風、陽の光の温かさ、鳥の鳴き声、空の美しさ。なにもかも届いていなかったのだ。夕日を見て泣くようになった。

 

真っ先にやりたくなったことは「部屋を片付ける」こと。資料を捨てたら仕事に支障が出るため生徒の入試が終わる3月から断捨離を開始して、3ヶ月毎日、時には夜中3時まで、延々捨て続け、半年くらいかかったと思う。

今思うと、あれは、「頭も心もぱんぱん」だったんだと思う。何に?目に見えない何か。情報とか?わからない…

 

ともかくそれがなくなったら風通しがよくなった。脳や心がすっきりした

自分のほしいものがより見えてきた。例えば残った服。よく着るからとか好きだからという理由で残す。残ったものをみると自分の好みがよりわかるようになった。不要なものもわかるようになった。服だけじゃなかった。

 

そしてわたしが次に行動としてやるようになったのは「人に会いに行く」こと。

会いたい人に会いに行く。面白そうと思ったら行く。片っ端からやっていった気がします。

 

ちなみに、それより更に前、20代後半から30寸前までは引きこもっていました。一番「不安や恐れ」を抱いていた時期かもしれません。彼氏だけが頼りでしたが、振られて、「一人で生きていくしかない(それが出来ないなら嫌いなこの家で死ぬしかない)」と思い、働きはじめ、長くして流れ流され巡り合った職場が上記の塾でした。

今は、いろいろな理由や事情で働いていません。

そんな経緯を経て、たくさんの人と接触するようになったのですが、やがて、少しずつ、はじめの頃の喜びは薄れ、人の汚い部分や嫌な部分が目につくようになり、だんだん、また、人が嫌になってきてしまいました。薬をやめたことで、頭がクリアになってきたこともあると思います。「過敏なのでは」と言う人もいました。なかには「病気なのでは」」「薬を飲めば楽になるよ。そうしたらまた人に会いたくなるし、働けるようになるよ」とか。

 

病気なのかな、と迷った時期もありますが、今は「これがわたし」と思っています。たとえ病気だったとしても治したくない。このままでいきたい。生きにくくても。

生きにくさとは?社会に馴染めている気がしないから。それって「自分の価値観が社会や大多数の価値観に合わないから」だと思います。

そうであるなら「社会や大多数の中では『変だ』『病気だ』とされることでも、社会の物差しでいう『健常』『正常』までもっていく、変えていく、治すこと、を要求してこない、『(犯罪を犯すわけでもないのだから)そのままでいい』とわたしを許してくれる、特別扱いも雑な扱いもしない、そういう人や場所を探す」って思うようになりました。

言い換えると「自分を変える努力するくらいならそういう人や場所を探すことをがんばる」。

そうして何年かやってきたと思います。

その結果、わかったこと。「思っていたより自分は変わり者だった」。「思っていた以上に居場所がなかった」。一番の問題は、自分の「人が好きじゃない」という思いが、ただただ、増幅し濃くなっていくのみだった…。。

先日の面接試験で「カウンセラーになりたくない理由」は、突き詰めると「どうして好きでもない人間のためにわたしが頑張らないといけないのだろう」という思いがあったと思う。それはカウンセラーとしては決定的にダメだろう。さらに、辿っていけば、その根っこは「人に対する恐れや不安」だ。だから、自分を閉ざすんだ…

けれど思う、それだけ傷ついてきたのだ……よく死ななかったね。

傷を癒やすことだ。そこからじゃないと始まらない…

 

わたしは思う。ひとりでも出来ないことはない、けど仲間がいたほうがいい。もう、これまでの場所は忘れたい。そして、新しい場所を見つけられたらいいと思う。真新しい場所を、できれば望みたい。ないわけじゃないのだ。学校があったじゃないか。

且つ、わたしは「距離感」っていう発見物を手に入れた。学校で人を嫌いにならなかったのはわたしが外部の人間だったことは大きい。距離が自然とあったのだ。わたしは好きになるとなんでも詰めすぎる。「6割主義」という言葉がある。人への期待は6割。わたしは「2割主義」でいいのかもしれない。

 

まだ試験の合否は発表されていないが、不合格だったとき、そいう理由から、「他の場所でカウンセリングの勉強を続ける」のも手なのかなー、とか、思ったりもする

 

なおかつ、わたしは、今思う。わたしは戻ってしまったのかもしれないが、けれど戻って何が悪いのか?人はそういうものじゃないか?「自然な状態」とは「真っ直ぐ右上がり」なんかじゃない(むしろ不自然)、「行きつ戻りつ」じゃないか。それがありのままってやつだ。「三寒四温」とあるように季節の移り変わりもそうだ。人間だって、道草もする、遠回りもする。少なくとも、それがわたし。戻るということはそこが「核のわたし」の証であるようにも思う。

「戻ってなんぼ」と今よりもっと思えた時、わたしはより自分の声を「傾聴」出来ているのかもしれない。その時のわたしは、人に対してもっと寛容に、もっとやさしくなれているのかもしれない。その時わたしは人に対する「恐れや不安」は軽減されているのではないか…?

世界は変わらない、わたしが閉じれば世界は閉じるし、わたしが開けば世界は開く。ただそれだけだ。けれど「だから、恐れは不安は取り除きましょう」とは、そう簡単はいかない。わたしの構成要素のひとつなんだから置き去りにしたくない、とも思う。

だから、戻ってもいいのだ、だって、恐れや不安はあるよ。だってそれだけの思いを経験してきたのだから。あなたは傷ついたんだよ。認めてあげな。そしてよく死なないで生きてきたよ。自分の不安や恐れをそうやって思えるようになった時、わたしは他人の弱さをもっともっと受け入れ、もっというと自分に酷い思いをさせた(ように見える)他人をもっともっと許すことを覚え、その時になってやっと、「人のため」に生きられるようになるのかもしれない。

そのために必要なものが「仲間」なんじゃないだろうか。

仲間がどうしても見つからない場合は、わたしが「カウンセリング」を受けて、カウンセラーと1対1から始めて、自分の中で損なわれた「人への信頼」を取り戻していってもいいのかな…、と思う。

 

そう思うようには、なった。

真新しい場所。

そう思うと広がる。

広がり、ふわっとした感覚、軽い、あったかい。

大事にしたい。今のわたしの栄養素だ。

味わいたいと思う。酸いも甘いも、だ。ひとつひとつ。