話を聞く、ということ。
人の話を聞くってどういうことか。いろいろあるが、SNSを見てて思うのは「ストーリーを勝手に作るな」は、やりがちだ。つい勝手にストーリーを作ってしまう、ということ。
例えば、先日ワタクシめの書いたaiko 「透明ドロップ」は典型だと思う。
歌詞にある「世界はこんな色をしてたのか」の色とは?失恋した主人公の見た風景はモノクロなのか?絶望に縁に居て、見上げた月が美しかった、と吉本ばななさんが綴っているように(記事参照)、失意の底から見上げた世界とは、とてつもなく「美しい風景」だったのではないか?(記事参照)
リンク先のサイトでこの歌の「歌詞解説」を書いたのは男性なんじゃないかと思う。一概には言えないが、男性って「論理的思考」をよくするなあって印象です。論理的に考えればこの歌の「世界」は「モノクロ」と想定しておかしくないんだ、と思う。
しかし、どっこにも「世界はモノクロ」とは言っていない。
もいっかい言う。
「世界がモノクロ」とはどっこにも書かれていない。つまり、
一言も言っていない。
「わからない」が正解なんじゃないでしょか。
わたしは思う。
人の話を聞くとは。
音を聞くとか雰囲気だけ聞いたり、相手の発する「単語」を深読みすることではない。「聞いていること」「聞いてないこと」をはっきり分けることは必須。必要なことがあれば質問する。それをやった上で「わからない」ことは「わからない」として、宙に浮かせておく。その後わかるようになるかもしれないし話してる本人だってわかってないのかもしれない。そのうち本人がわかるかもしれないしわからないままかもしれない。そのまま放置って過酷なようだけど、よく考えてみよう。本人がわかってないのに、他人が「わかった」とするのは一番の間違いであり、暴力ともいえる。やった側は「親切」のつもりでもされた側にとっては冒涜だし暴力。事実の捻じ曲げ。改ざんと言っても良いレベルだ。
答えは本人の中にしかない。わたしもついやってしまうが相手をわかろうと思うあまり、言っていないことに対して「ストーリー」をでっち上げる。それはわかった気持ちになりたいのだ。それは、はたから見れば「やさしさ」だが、事実としてはある種の暴力行為であり、やる側が己の「欲望」を満たしているだけ。
作り上げられたストーリーで多いなと感じるのは、ひとつは「世間一般でそうだと言われていること(例えば「失恋したら見える風景はモノクロ」等)」、もうひとつは「自分の経験と重ねてしまう」。しかし、わたしとあなたは違うのだ。相手の話はいつだってブランニュー(byサザン)、真新しい。のだ。それが出来てこそ、相手に対する「尊重」、相手を大事にしている状態だと思う。
aikoの記事を例にだすと「失恋した」「世界が違って見えた」を聞いた時、「世界がモノクロ」とは一言も言ってないのだと知ることが「聞けている」状態であり、質問する必要があると思えば質問すれば良い。大事なのは「言ってないと気づいていること」だと思う。
当然また、等しく「美しかった」とも言っていない。わたしの中では確実「美しかった」が、事実は「わからない」である。
聞く人によって見える風景が変わる、ということでもあるし、それが「広がり」であり、これは「歌詞」ですから、答えを握るのはリスナー。良い歌詞ってそういうことじゃないかと思う。
結論
相手の話を聞くとは、いろいろあるが、相手の話は「いつでもわからない」ということを念頭に置くこと=①いつだって相手の話は真新しいストーリー(自分の経験と重ねない、世間の常識にあてはめてストーリーを捏造しない。②人はすべては話さない、つまり話していない「余白」が必ずある。③そもそも論として、言葉自体に限界がある。
相手のことを「わかった」と思うと大抵ストーリーのでっち上げが行われていたり、大抵その時ほどわかっていない。のだ。
世間では「相手の話をよく聞きなさい」と言われ、「よく聞けばわかる」という。逆だ。相手に耳を傾けるほど、浮き上がってくるのは「相手がわからない」である。あなたとわたしは全く同じはずがないからだ。その瞬間こそたぶん、「聞けている」のだと思う。
ついでに、カウンセリング観点だと、そこまで出来てやっとクライエントは「自分は受容されている」ことを覚え、立ち上がっていこうと始める。そこまで辿り着いてもやめない。カウンセラーは継続してクライエントから離れることなくがっちりホールドしつつ、クライエントが自立するまでそばにいることが仕事。1回のカウンセリングでスパンと立ち上がるクライエントも中にはいるらしいが、普通は回数を重ねる必要がある。人の回復にはそれだけ時間がかかる。傷つけるって罪なんですね…、、(自戒)
おしまい。