市井さんのblog

市井の人によるしがない日常

美術部だった頃

中学生のとき美術部だった。絵を描くのは好きだったけど油絵とか水彩画とか本格的にやっていたわけではない。子供の頃から、漫画みたいな絵を落書き帳に描くのがすきだったので、その延長だ。

親が厳しかったので、中学生になったら「運動部」入部を禁じられていた。理由は「勉強しなくなるから」。運動部だったら陸上部とか剣道部に入りたかった。陸上部はハイジャンプがかっこいいと思った。剣道部は当時「りぼん」で人気があった「ポニーテール白書」に憧れた。(郡司く〜ん)

ぬっるい弛んだ美術部員だったけど、もちろん勉強も弛みまくりしっかりやらなかった。

勉強を熱心にできる子供は部活だって熱心にやるのである。

 

当時、美術部は顧問の先生が適当であったため週2日行くだけでいい、というのが気に入っていた。運動部に憧れるくせに、「毎日やりたくない」とか矛盾している。

先輩後輩の縦社会的な厳しさもほとんどなかった。そんなところもまだ物事をよく知らなかったくせに、やけに気に入っていた。

 

入部して知ったが、そこは美術部ではなく「アニメ研究部」みたいなところだった。当時、聖闘士星矢が流行っていたので「せいやさま」などと先輩は各々のキャラを呼び、手を合わせたり、拝んだり、熱く語り合い、なんかすごかった。わたしは聖闘士星矢を見ていなかったので、遠くから先輩方々を眺め(ロングで前髪長い人が多かった。全員女。やけにキャラの模写がうまい)、机を8個くらい並べて盛り上がってる輪に入ることなく、無料で使える画用紙やマジックや色鉛筆、絵の具などを使って、自分のすきな絵を描いていた。気に入ると自分の部屋に飾っていた。(描いたのじぶん)

 

中学3年になる頃だったと思う。顧問が別の学校に赴任が決まり新しい先生に変わることになった。安西先生という男性だ。中年。安西先生は、恐らく美術をこよなく愛していたのではないかと思う。それまで姿を現したことのなかった顧問が、安西先生になって部室によく顔を出してくるようになり、ある日、「油絵の描き方を教えてやる」「毎日やる」と布告が下された。

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(写真は部活動顧問といえばその代表ともいえる素晴らしきバスケ部顧問の安西先生スラムダンク」より)

わたしは憤慨発奮した。だって、好きに描きたかったのだ。ついでにいうと、油絵はぜんぜん描けなかった、水彩画しかやったことがなかったから描き方もわからなかった。水彩画は小学校の頃からそこそこ褒められたけど、美術部で一度油絵をのりで描いたら、描き方が水彩画だったせいかまったく駄目だった。模写だったんだけど。

 

「そんなものやらされたらかなわない」と思った。

友人もそう言っていた。ちなみにその友人とは同級生で「絵を描くのがすき」というだけで、わたしが美術部に半ば強引に入部させた女の子である。わたしはそういうやつだったのである。(今とは真逆)

他にも同様の被害者はいて、同級生の男の子もいた。聖闘士星矢をやっぱ描いてたが、めっちゃはやくて、めっちゃ細かくて、めっっちゃうまかった。正直、こいつが一番うまいと思った。

 

で、話がそれたけど、わたしは顧問に手紙を描いて直訴することにした。当時、「水俣病」をはじめとする公害病を社会科で勉強していて、「足尾鉱毒事件」の重鎮であり明治天皇に直訴しようとした「田中正造」の影響もあったのかもしれない。

 

何を書いたか詳しくは覚えていない。「私達は平和に楽しくやっていた(私達は、ではなく、私は、の間違いである)」「邪魔しないでほしい」、そんな主旨だったと思う。

 

結果、安西先生は来なくなった。美術部の部室に姿を見せることもなくなった。

 

平和は保たれた。私達は平和を勝ち取ったのである。革命成功。庶民万歳。勝った。LOVE and PEACE。

そのように、当時のわたしは思い、

正しいことをしたと思い、まったく爽快な気分でいた。

ばかである。

 

 

今思う。大変申し訳無いことをした。大変失礼なことをした。安西先生はただ単に「美術をこよなく愛していた」だけだったのではないか。わたしは、その思いを踏みにじったのではないか。もしかしたら素朴な善意、素朴な愛を。美術やひょっとして生徒、私たちに向けられた…。

先生とはその後話をしたこともないし、連絡先を知らないから、今日に至っても確認のしようがない。

 

正しさとはなんだろうか。

正しさとは残酷なものだ。

かくも人を傷つける。

 

大人になって、わたしはカウンセリングの勉強を始めた。

正しさは人によって違う、人が10人いれば正しさは10個あり、7個でも8個でもない。ということを知った。

大事なのは、”自分の「正しさ」を貫き、間違った相手(のように自分には見える)を正したり、よりよい方向へ導くことではなく、たとえ相手がその先どうなろうとわかっていても、「わたしはそう思わないけどあなたはそうなのね」と自分がそれをそのままおさめること”だ。

相手の内面がやたらと克明に見えて、その先よくないことが待っているとわかるとき、それはもはや「忍耐」以外のなにものでもない。

かといって、自分の信じる「正しさ」へ相手を導いたとして、その先どこまで自分はその人の責任をもてるのか?

その人はいつ自分の足で立ち上がることができるのか?人の言う事を聞いているだけではないか…?

 

もっと言うなら、そこまで相手を放っておけないと思うのなら「転ばぬ先の杖」をやるのではなく、いつか転ぶとわかっていてもそれを見守り、いざ転んだ時に支えてやればいい。きっと相当困っている時だから。支えるとは「隣にいる」こと。それだけであるが、決して「離れない」。だって私たちはそれしか出来ないのだ、本来。相手を尊重するなら。

 

「尊重」とは何か。

今日巷でよく耳にする「多様性」とは。

 

 

それを会得したのがカウンセリングの学校であったのだが、奇しくも、メンバーにこんなことを言うひとがいた。

「学校の先生は『正しいこと』だけ教えてくれればいい。あとは生徒を好きにさせてくれていればいい。その中で『間違い』が起きたときだけ、軌道修正してくれればいい」

まだ学び始めの初期の頃だ。

 

その「正しい」とされていることが「正しい」と、誰が決めるのだろう?

先生?子供より大人だから?それだけで?それは「縦社会」?主従関係…、「守る」って?「対等」「平等」って?

先生がすべて決めて、それを基準にして生徒を「軌道修正」(という名)でまとめあげる?

先生と価値観の合わない子供はどうなるの??その子の声は…

「みんな仲良く」…「迷惑かけるな」………

 

帝国…。。。軍国主義、、、、

 

その時、そんなことが、グループワークの中で話題になった。

 

 

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(写真は今朝お部屋の網戸に止まってた蝉。若い世代の方々の中には蝉の腹が気持ち悪いとか鳴き声もうるさいとか姿がちょっと。と言う方もいらっしゃるらしいですね…。わたしはうれしいぞ。セミ。夏ですね。素手で掴んだりしちゃう)