JPOPと夏目漱石と「風と共に去りぬ」とジブリ
たむらぱん「フレフレ」2011年
「今日出来ていることが明日も出来ているかはわからない」「世界は危機一髪だ どうなるかわからない」「だからこそ夢や希望をもつ」「フレフレお前の頑張ってる姿は 僕を立たせる」「そうかお前も それなら」「励ましあって行きたいよ」「今日当たり前のことが明日も当たり前かわからないけど」
たむらぱん「バンブー」
「とびら扉開いたら その向こうがどこかまでが続いてたらと思うけれど」「でも 本当に続いちゃ困る」「揺れる揺れるココロカラダ」「でも僕はね折れないバンブー」「強くなったねと胸張ってすすめ」
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ここ何年かは音楽活動をかつてほどはやっていないみたいですが、当時すっごく励まされて生きていました!才能ある方が埋もれてしまったようで、勿体ない…。社会の損失。。また表舞台にいっぱい出てくることを心待ちにしてるファンがここにいまーす!
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(以下はいきなり回顧録になってた!行き当たりばったりですんません!たむらぱん聞いてて思ったことです)
思い返したこと。
恥をかくことも失敗することもやだ。転んだら痛いし転びたくない。
けれど「自分のまま」に生きてたら絶対転ぶし恥かくし失敗する。痛い。
しかし、
「それがやめる理由になるのか?」
という問いを常に忘れないでいたいと思う。
決めるのは自分だ
結果出した答えが、
「そのまま突き進む」でも「しなやかに生きてく」でも「自分を出すことをやめる」でも、等価値だと思う。繰り返すけど全て等価値。
世間では「ありのまま=曝け出す」が絶対的価値があるような言い方をしているけれど、それより大事なことは「自分はどうしたいか?」を「自分で決めること」。と思う
平和だけど平凡な日々を、どこか退屈と思いながら、でも「割と気に入ってもいる」。今後何かするかもしれないけど、しないかもしれない。それが「自分のありのまま」だってこともある。何かやることが絶対正解じゃない。それは他人や世間の「正解」だ。自分はどうなのか。
なんでもあり。(「神様は何も禁じていない」って川本真琴もゆってる)
唯一「ダメ」があるとすれば
人のサル真似をただすること。
世間でいいと言われてるって理由で決めること。(世間=親や学校、常識など)
うまくいってる時はいい。親や学校や環境に感謝する。問題は失敗した時。たぶん周りのせいにしたくなる。実際するしないにしても、欲望が湧く。
だって、何かに躓いた時、男では社会や政治のせいにする人、女では占いに走る人が多い(ように見える)の、うまくいかなくなったことを自分が悪いことにしたくない=周りに原因がある。としたがる、人間の業みたいなものの、ひとつの表れなようにも、見える
それって言い換えると、「自分の人生を他者に明け渡した」始まり、みたくわたしには見える。
じゃあどうすればいいのだろう?
自分のままとか正直に生きる、とかだって十分しんどいことだ、
夏目漱石が「草枕」で「生きる難しさ=生きにくさ」について述べている。
「一体どう生きていったら良いのか?」
「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
あの時代から。いや、もっと前から、きっと。そして世界的文学者の漱石先生までも、答えはきっと見つけていない。問い続けるだけしかない、人類共通の問題。(言ってみれば、全人類が共有できる希少なもののひとつ。とも言えるのでは?)
自分のままで生きることを、わたしは不器用なまでに、改善の余地は少なからずあると今も思うくらい、貫いた(まっすぐ貫きすぎた)タイプだったのだろう。
貫けばやり過ぎればいつか躓くから、世間はそんなに甘くないから、その時に心から学べばよい。痛いから学ぶんである。
正しいとは言い難いが、しかし、そんな生き方を繰り返してきたことで、強くなろうと思わなくても、自然と強くなった部分はあるのかもしれない、と、思う、ようになった。(例えば、コロナ禍で適応障害や鬱になった人々の多さよ。ワタクシぜんぜんへっき)
たむらぱん「バンブー」
(さっきと同じ)
「強くなったねと胸張ってすすめ」
ビビリでも大丈夫。弱いままでもそのままいけばよし。途中で方向転換や軌道修正したり一時停止や逆再生したっていいのだ。強くなろうとなんかしなくて、いい。
大事なのは生き続けること。
同じことは、繰り返してるようで「螺旋状」。
一回起こったことは、どうしたって2回目以降は「全く同じ」にはなり得ない。
立ち止まってるようで、その「一時停止」は長い目で見たら時間が経った時に「大きな前進」だった、と思えるものかもしれない。生かすも殺すも自分次第。なんでもあり。
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「あなたって気楽そうな顔してるわね。でもよかったわよ。顔に苦労が出てごらんなさいよ、人に好かれないわ〜。くっちゃくちゃの暗い顔なんかさ〜人が寄ってこないよ!」
そうだよ。そのとおりだよ。顔つきが気楽なせいでマイナスもあるけどだけどさ、思うの、
わたしが今日まで生きてきたのは、心ある人たちの支えがあったからじゃんかじゃんか。彼らの支えがなければ生きてこれなかった。顔が気楽でよかった。抜け作で命拾いした。怖い顔じゃなくてよかった。つまり、
「人はひとりでは生きてゆけない」
もっというと、
「人と同じ生き方をしたくない」なんて思っていたわけじゃない。
この生き方が誰しもにベストだとか絶対正しいとは思わない、もっと柔軟さは必要だとも思う。
だから「サルマネするなよ」と思う、わたしみたいになったら大変だ。
むやみに真似したら死ぬからさあー。って本気で思う、わたしだって明日死ぬかもしれない。今日生きていることが超絶ラッキーなだけかもしれない。
だいじょうぶ、社会は悪じゃないし、運気は落ちてない。たまたまだよ。それだけ。
Tomorrow is another day.(明日は明日の風がふく)「風と共に去りぬ」より
そうやって、ただひたすらに同じことを何百万回と繰り返してきたが、そんな中で
「人と違う生き方だなと思う、けど、それでも、やめない人」
ってめちゃくちゃ少ないけど、たまーにいて、そんな人との出会いもあった、
わたし、生きろ、なんて言われても生きないもん、
けれど、そんな人を見ていると、それだけで心が揺り動かされて、
生きよう、と思う、
わたしは、そんな繰り返しの、そんな人生。。