恩師の一周忌
先生の命日だ。1周忌だ。英語の先生だ。昨年95歳で他界しわたしとは14歳くらいからお世話になっていた。母と不仲だったわたしにとって母親以上に母親だったひと。わたしを愛してくれた人。「娘よりいいよ」と言ってくれた人。実の母より好きだった人。先生と同じ学校に行きたくて大学は他大から転学科を経て編入試験を受けて入ったのだよ。
何も書かないつもりだった。すきな気持ちは言葉にできない。大事なものは手垢で汚されたくない。
ひとつだけ書くことにした。だって一周忌だから。
きっと忘れてしまうから。迷いながら記録に残そうと思った。忘れたくないけどそれは過酷なことだけど、生きるためにわたしはきっと忘れゆくから。
家族ってなんだろう。
わたしと先生は家族じゃなかったけど、血の繋がりを超えて師弟関係を超えて年齢を超えて、なんていうのか、近かった、お互いきっとすきだった
引き換え、わたしの家族は血は繋がっているけど、わかりあえなかった、冷えきっていた。
一周忌だし娘さんはしっかり法事をやるのだろうと想像するが、声はかけてもらっていない、けれどよく考えたら、さみしくはあるけど先生の家族親族に囲まれてわたしだけ血縁でない人間がいるのはお互い気を遣ったと思うから、娘さんの判断は正しかったと思う。
わたしは先生の死に顔も見ていなくて先生が死んだと知ったのは四十九日法要がちょうど終わった翌日だった。虫の知らせみたく突然先生の家に訪れたら不在で、マンションの管理人さんのところで聞いて、娘さんに電話して確認して、詳細を教えてもらった。「家族葬」で身内だけで済ませ、四十九日を終えてから身内以外の人たちに少しずつ報告する予定でいたそうだ。うちも祖父母が「家族葬」で段取りが似ていたからストンと納得した。
葬儀に関して自分が参列できなかったことに、だから不満は、まったくない。そういうものだから。葬儀って。
少し離れた後ろに置いてきたような、けど残っている、もうひとつの思うことがある、
「家族」ってそんなもん…家族じゃなければそんなもん…。。(同じくらい)「家族じゃなかったのに」先生はわたしをあんなに愛してくれた。。
。
。
「せんせい〜カウンセリングの進級試験はだめみたいなんですけど、通知きたあとどうしようかなって、また英語を教えてもいいなって思ってるんです、先生のおかげだなって、先生に感謝しています」
「いいじゃない!」
って言葉が聞こえてくる気がしたが、
もちろんきこえない
先生の墓石は「愛」と掘られている。
「またきます」
と最後に言ったら
「またきてね!まってるわ!」
って声が、やっぱり、聞こえるようで
きこえない
先生の姿は見えない
墓石の「愛」を見つめ、それから帰路についた。
お盆も終わり、人はひとりも周囲にひとりもおらず、
静寂だけが流れていた。
わたしはきっといろんなことを忘れていくんだと思う。生きるために悲しみはいつまでも抱えていられない。先生は、どこにもいない