市井さんのblog

市井の人によるしがない日常

温かい気持ちがふわっと湧いたこと。

クラシさんの「クラシFM」が好きです。

特にここ何回かはしんみり心に沁み渡る、大人の回って感じです。好きです。

 

「144 わたしは嫌いだったよ」

も、一編の小説を読み終えたような、心が洗われる、よい放送でした…

 

 

 


そう感じたのは、放送の中に登場する「ふみちゃん」と自分が似ていたからかもしれません。

 


「ふみちゃん」とは、クラシさんの小学生の同級生で当時クラスの大多数が好きだと言っていた担任の先生を、大人になって「わたしは好きじゃなかったんだよ」と話してくれた女性だそうです。

 


(詳しくは放送をお聞き頂きたい!)

以下印象に残った箇所。


"言いづらかったでしょうね…、みんなが先生のこと好きって言ってる大多数のそういう雰囲気の中で声を出して雰囲気壊すようなこと……"

 


"そういうふうに思ってる人のこと、気がつかなかったなあ、と思って。"

 


"……ああ。そういうことか。ふみちゃん、そういうことか。"

 


"大人になってもそういう場面ってあるだろうし。そういう人に気づいてあげられるような人になりたいな、って思った。"

 


 


わたしも嫌いなものを嫌いと言って、その場に居づらくなったことがあります

 


習い事の先生は贔屓してると思ってたから、そう言って、去年の秋頃から行けなくなりました。

 


まあ自分が悪いです。

 


「わからないの?雰囲気壊すようなことだって」って聞かれたら、あの頃はうっすら、今はもっと、さすがにわかるよ、と答える。

けれど自分の気持ちに嘘をつくことが耐えられなかった、何かを失うと分かっていてもやらずにいられない、そういう人種もいる。

 


も少し聞いて欲しい

 


それって個人的事情と言われるかもしれないが、

わたしは親が厳しく、ずっと我慢させられてきて、「親が違うんだ」と17歳でやっとわかったけど、箱入りで育ったこともあって「支柱を失った」感覚から病気になってしまって、社会に出たらもっと症状化して出るようになって、薬を飲むようになって、そしたら今度は薬、、薬で鈍くさせられて……15年くらい…

 


ずっと「自分として生きられなかった」。それはわたしのせいだったのか?親は選べない、医療を疑うことなんて知らなかった、特に当時の精神医療は薬物治療が今より普通とされていて……

 


やっと.自分として生きられるようになったのは薬をやめたここ数年。もうやなんだ。守り抜くしかないの…

 


そんな長い話、誰も聞いてくれないよ。

 

この瞬間のわたしだけ。今のわたしすべては、今だけではかられる。過去の話なんか誰も聞いちゃくれいない。わたしだけじゃない、お互いそゆことをやってるんだ、

 


みんな忙しいの、他人に興味ないの。

生きることはそれだけ大変だ、わたしもそうだ、きっとほとんどの人がそう。

だから黙る。

 


だから、

クラシさんみたいに言ってくれる人が、嬉しくかったし、救いで、

 

温かい気持ちがふわっと下から湧いて来た。

 

 

 

だから、たとえ「気づいてもらえなかった」でも構わない、まず「お互いさま」ってある。

期待するほどに失望して相手を嫌悪してしまう、それを繰り返して来たからさ、

 

 


ただ居てくれること、そういう人もいるらしい、ってこと。

「希望」だ……。これだって、ひとつの。

 

 

 

そんなことを思いました。

 

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