服に命はあるのか?
インスタのファッションインスタグラマー(フォロワー万単位)の方が「着なくなった服はどうしていますか?」と聞かれ、「中古で売るって手段もありますがその手間と時間を考えると割に合わないのでやりません。その手間と時間があるならもっと自分磨きのために使いたい」(はっきり書かれていないが要は捨てるのか?)と答えていてわたしはびっくりしたのだ。
自分はリサイクルに持っていくことが多いです。服への愛が強いのだ。服に命はないのに、捨てられない。ケチってるのではない、捨てるのがかわいそう。服が。着なかったくせに、捨てるのはかわいそう。
ある時リサイクルショップで自分の出した服が店頭に並んでるのを見た。やがて店頭から消えたので「旅立ったのね…」と思ってたら、1年ほど経って同じ店で再会した。
チェックのミニワンピースだったんだけど、ウエストのベルトはなくなり、しわしわになり、汚れ・シミまで…
出戻り娘を見た気持ちだった。
”何があったんだい…嫁入り先で…、、、DVかい…ひどいね…かわいそうに…、、、”(心の叫び)
服に命はないのに、「捨てられた人間」「選ばれなかった人間」と同等に見えてしまい、涙を誘う(泣いてません)
それでもわたしが買ったところで一度着なかったから手放してるわけで、その時は泣く泣く買わずに見送った。
だから、「服好き」を公言してるインスタグラマー(都内に出ると必ず時間がなくても服を見ると言っていた)あっさり処分できることに、にわかに信じがたかった。
服好きの「好きの種類」が違っているのかもしれない。
服について語るとまだまだ続くけど、おしまい。
写真はマキシマリスト時代のわたしのお部屋(の一端。画像も断捨離して残ってない)物が多すぎて散乱中の部屋にポツネンたたずむはなこさんが愛らしい…
スーツケースはしまう場所がなくて出しっぱなし。是常識哉。
おしゃれな人は根っこからセンスが違うな〜って思う!わたしは服好きだけどただの服好きでーす!