市井さんのblog

市井の人によるしがない日常

椎名林檎の鬼才っぷりを角田光代で証明したひ!

「すべりだい」(「幸福論」のB面 椎名林檎

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「幸福論」椎名林檎

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昨日aikoを取り上げたので同期の椎名林檎さんのデビュー曲について。aiko椎名林檎は共に98年にメジャーデビューしており、アマチュア時代から既知の仲。

 

「すべりだい」は「幸福論」のB面ですが一体どんな歌なのでしょうか。ざっきうりいうと

 

別れた彼氏との交際を『今の私ならすべらない』とひたすら後悔している。

 

「幸福論」とはどんな歌でしょうか。ざっくりいうと

 

『あなたがいるだけで幸福なんです』

 

と歌っている。

でいいですか…?信者じゃない、ファンのみなさま)

当方椎名林檎は好きですが椎名林檎のファンばあんましすきくない、ボソボソ

 

A面では「恋愛賛美」を歌い、B面では「シビアな恋愛」を歌う。

理想と現実。表と裏。陰と陽。

あなおそろしや椎名林檎の鬼才っぷり。すべて計算済み、恋愛の表と裏をこの2曲で表現した。

とわたしは言いたい

 

(余談ですが、椎名林檎さん自身は後日「すべりだいのほうを表題にしたかった」「幸福論は理想ですよね」「理想を追い求める10代のような」「人を好きになったら『いてくれればいい』なんて綺麗事。嫉妬したり独占欲だったり、実際は」等々。それが当方印象深く残っているのですが、検索してもリソースが見つかりませんでした、すみません、検索力がないのかも…)

 

ここまで書くと「人を好きになるってすてきだよ!(はあと)」という派閥のメンツから怒られそうなので、ワタクシの敬愛する小説家角田光代さんの一節を取り上げたい。

ちなみに角田さんを個人で振り返ると、結婚に至るまで恋人が途絶えたことがないという恋愛無双な方。小説でも恋愛を書かせるとダントツ面白い(と思う)。余談ですが現在は、一度の離婚を経てGOING UNDER GROUNDの元ドラマーで10歳前後年下の河野丈洋さんと再婚。

 

以下エッセイ「世界は終わりそうにない」角田光代より『いいものでもないけれど、でも。』より、抜粋↓

 

 (相手を)理解したい一心で、すがりつくように(音楽や小説などを)見たり聴いたりするようになる。恋愛などしていなければ、まったくの別世界だったそれらを知るうち、「私」というものがいかに小さくて退屈で面白みがないか、まざまざと見えてしまう。(略)私が相手を知りたいと思うくらい、相手にも私を知ってもらいたいと切望する。知ってもらいたいと思うに値する、広い部屋になりたいと思う。

 こうした心持ちの時、違う価値観を持つ恋愛相手をただ否定することはまずなくて、なんとか理解しようとする。ときに自分自身を否定すらして、価値観をすりあわせようとする。そんなこと、恋愛じゃなきゃできっこない。(略)でも、その、自分を抑えてでもなんとか他者を受け入れたい気持ちというのが、究極の人とのかかわりだと私は思うわけである。

 その究極の他者とのかかわりとのなかで、私達自身の知らなかった自分を向き合うこともある。思うよりきれいな部分が見えることもあるし、目をそらしたいほど醜い部分を見てしまうこともある。そうしながら、なんとか、もっともっときれいになろうと思う。見かけばかりではない、中身ごと、(略)こうしたことも恋愛していなければなかなかできないことだ。

 そうして気がつけば、自分という窮屈でらんとしていた部屋が、いつしか広くなり、窓も扉も開き、インテリアも充実したりする。

 恋愛が終わったとしても、窓も扉も閉じないし、中身も減じない。恋愛終焉の傷が深ければ深いほど、もう窓も扉も閉め切ったようなつもりになるけど、じつは、ずっと開いている。次に人にかかわるとき、もっと楽になっていることにきづくはずだ。そして、ほかの人から見ても、閉じて狭い人よりは、開いた人のほうがずっと魅力的に見える。かなしみや傷が、その人も見えざる魅力になるなんて、恋愛の場合しかない。

恋愛は、そんなにいいものではない。でもするだけの価値はちゃんとある。これまた、年齢を経てから確信したことなのである。

 

わたしが恋愛を語るのは恋や愛がロマンチックだから。すてきだから。ではない。

すてきなことではあるのだが、すてきだけではない。と思う。全部ひっくるめて「恋愛」なのだと思う。なぜなら恋人との「ガチの付き合い」になるから。「究極の他者との関わり」角田さん。好きだから、真剣になる・喧嘩もする。すきだすてきだ、だけじゃないのである。

恋愛における「すてき」だけを吸収して「すてきじゃない」を排除するのは個人の好き好きだと思うのだが、わたしは「半面」しか生きていない気がして、そんな快楽なら要らないな、って思うのだ。うそっこいからだ。両面生きてこそ快楽も深まる。ってものだ。

この点は恋愛に限らない。人生において、閉じる経験も必要だと思うのは開きっぱなしは「すてき」だけを吸収しているだけと同じだからだ。

閉じていても成長している、「閉め切っているつもりになるけど、じつは、ずっと開いている」と角田さん。

 

椎名林檎の「幸福論」は、ひとつの恋愛の表と裏を描いた。と思う。また「幸福論」は「すべりだい」の続編としての位置づけだ、とも後日語られていることをこれを書くにあたり知った。

ちなみに「幸福論」は1999年に12cmシングル版として大ヒットシングル「本能」と同日に再リリースされ、98年版と99年版と2種類のシングルがありますが、99年版には「時が暴走する」がさらに追加されている。この3曲で椎名さんの経験した恋愛のひとつの集大成なのかもしれない。

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「時は暴走する」は”デジタルの文字があたしを疲れさせる”という出だしで始まるに集約されるように、陰の部分が色濃い楽曲。わたしのイメージでは恋愛で傷つき閉じている(ように見える)状態。閉じていても(と見えても)その中で醸成されるのだと思う、むしろ必要な時期、と言いたい

「恋愛=キラキラ、リア充」と捉える当時の(今の)風潮に流されずしっかり捉えている感が、たいへん好ましい。